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日本人

クイズで確認 知ってるつもりの日本人―(1)吉田松陰 ―

はじめに

日本の歴史に登場した「知ってるつもりの日本人」について、"頭の体操"的な親しみやすいクイズ形式としてまとめてみました。ぜひチャレンジして、あなたの「知ってる日本人」としてください。解答は次回に掲載いたします。

ルール

※図1
  • 1. タテの位置をアルファベット大文字、ヨコの位置をアルファベット小文字で示した格子状の解答欄を用います。
  • 2. このパズルでは、解答は漢字(一部はカタカナ・ひらがな)で記入します。
  • 3. クロスワードパズルのように、タテのカギ・ヨコのカギとなるクイズを読んで、答えを解答欄に記入します。
    ただし、クロスワードパズルとは異なり、タテとヨコの解答が交差するマスには、基本的に違う文字が入ります。
    例:図1ではタテAaのクイズの答えが「北条時宗」、ヨコbAのクイズの答えが「室町幕府」であるため、タテA・ヨコbのマスには「条」の字と「室」の字が入ります。

ヒント

※図2

ヒントとして、図2のような解答欄の各マスを数字で埋めた図があります。この数字は以下の規則に従い、そのマスに五十音のどの段(ア段・イ段・ウ段・エ段・オ段)で始まる文字が入るかを示しています。

【規則1】
ア段の音で始まる文字=1、イ段の音で始まる文字=2、ウ段の音で始まる文字=3、エ段の音で始まる文字=4、オ段の音で始まる文字=5と置き換えます。
例:「東大寺」は、「トウダイジ」の「ト」を5、「ダ」を1、「ジ」を2とし、「5・1・2」と置き換えます。
※この際、拗音や促音(小さい「や・ゆ・よ・つ」など)は無視します。
例:「律令(リツリョウ)」の「令」は「リヨ」⇒「5」とは考えずに、「リ」⇒「2」と考えます。

【規則2】
ヒントの図に記入されているのは、そのマスに入る数字の和です。
例:図1のタテA・ヨコbのマスには「条」と「室」の字が入るので、ヒント(図2)のタテA・ヨコbのマスには「条」=「ジ」=「2」と「室」=「ム」=「3」の和である「5」が入っています。

【規則3】
タテ・ヨコで文字が交差しないマスは1字しか文字が入らないので、その文字を置き換えた数字がそのままヒントに入っています。
例:図1のタテA・ヨコaのマスには「北条時宗(ホウジョウトキムネ)」の「北」の1字のみが入るので、図2のタテA・ヨコaのマスには「北(ホウ)」を置き換えた「5」がそのまま記入されています。
※このヒントを用いてクイズを解いていき、全てのマスを埋めます。

例:ヨコbAのクイズの答えが「室町幕府」であると分かった場合、「3(ムロ)・1(マチ)・1(バク)・3(フ)」と置き換えられますが、図2のタテA・ヨコbのマスに「5」、タテB・ヨコbのマスに「2」と記入されていることから、それぞれタテのクイズの答えとして「5-3=2→イ段」、「2-1=1→ア段」の文字が入ると分かります。逆にタテC・ヨコbのマスには「幕(バク)」の「1」がそのまま入っているので、解答が交差しないマスであると分かります。

(1)吉田松陰

タテ

A

a

長州藩の藩学。松陰は10歳にしてこの藩学で家学を教授した。

A

e

1859年、松陰は幕府の命により江戸に護送された。これは安政の大獄で捕縛した小浜藩士・○○○○との関係を問うためであった。

B

b

長州藩士。松陰の妹の文と結婚した。松陰に師事し、松陰からその才を「縦横無礙」と評された。禁門の変で流れ弾に当たり自害した。

B

g

1859年、松陰は江戸○○○の獄で幕府により処刑された。

C

e

1854年、松陰は○○○○○とともに下田でアメリカ船ポーハタン号に乗り込み外国に密航しようとしたが拒否され、翌日自首した。

D

f

松陰は1830年、長州藩士○○○(百合之助)の次男として生まれた。

E

a

きわめて誠実であることを意味する言葉。松陰はこの言葉を好んで用いた。

E

e

天皇を尊崇し、他国を排撃しようとする政治思想。松陰の門下からはこの思想を掲げる維新志士が輩出した。

F

a

1854年、外国への密航に失敗した松陰は自藩幽閉の処分となり長州藩の○○○に収容された。約1年後に出獄して実家に預けられたが、過激な言動が原因で1858年に再び収容された。

F

e

周防国の農民の子として生まれ、松陰に師事した。維新志士として活動し、後に初代内閣総理大臣となった。

G

c

長州藩の下級武士の子として生まれ、松陰に師事した。維新後は陸軍創設・徴兵令施行・軍人勅諭の発布などを行い近代軍政の基礎を築いた。

H

b

彦根藩主で、幕府の大老を務めた。安政の大獄と呼ばれる、将軍継嗣問題・条約調印問題における反対勢力に対する弾圧を行い、松陰を処刑した。

H

f

中国南宋時代に確立された儒学の学説。松陰の叔父・玉木文之進が信奉しており、松陰もその影響下で思想形成した。

I

b

1840年、松陰は藩主の前で、兵学者・山鹿素行の主著である『○○○○』を講じた。

I

f

長州藩士の子として生まれ、松陰に師事した。松陰が投獄された際にはこれに抗議して謹慎処分を受けた。明治維新後、萩の乱と呼ばれる士族反乱を起こすが鎮圧され処刑された。

ヨコ

a

A

1852年4月に長州藩から帰国を命じられた松陰は7ヶ月萩に屏居し、その間に六国史の一つで日本最初の勅撰の歴史書である『○○○○』や同じく六国史の一つである『続日本紀』など国史の研究に没頭した。

a

F

○○○○(慶親)は、幕末期の長州藩主。1840年に松陰の講義を受けその巧みさに驚き、1844年に再度受講した際には激賞して褒賞を下賜した。また、後に松陰が藩の許可を得ずに東北を視察して処罰された際には、特別の計らいにより諸国遊学を許可した。

b

C

松代藩士。1851年に江戸に移って砲術・兵学を教授し、松陰もその門下となった。弟子の松陰に外国行きを暗に勧め、松陰が外国への密航に失敗すると連座して処罰された。

c

B

松陰が唱えた、志を同じくする在野の人に広く決起を呼びかける考えを○○○○と呼ぶ。

c

F

松陰の叔父・玉木文之進が開設した私塾で、後に松陰が受け継いで主宰者となった。この塾の門下生から維新志士が輩出した。

d

A

1858年に勅許を得ないまま幕府が○○○○○○条約を締結すると、松陰はこれを激しく批判した。

e

D

吉田松陰の「松陰」は号であり、実名は「○○」である。

f

A

長州藩士。松陰に師事し、松陰からも高く評価された。討幕運動の中心人物として活動し、奇兵隊を結成した。

g

E

『○○○○』は『孟子』に関する講義録であり、松陰の主著。外国への密航に失敗して獄中にあった松陰が同囚を誘って開いた『孟子』の講読会で講じた内容をまとめたもの。

h

F

幕末の志士。肥後国の医師の子として生まれた。九州遊歴中の松陰と知り合い、東北遊歴に同行した。1864年、京都の池田屋で会合中に新撰組に襲撃され自刃した(池田屋事件)。

i

A

松陰は5歳の時に○○流兵学師範として長州藩に仕えていた叔父の吉田大助の養子となった。

i

C

松陰には○○○○○○との別号がある。

ヒント

解答

日本人国記(33)の解答

片岡球子 1905–2008 昭和~平成時代の日本画家。歴史上の人物を主題にした「面構」シリーズを連作し、迫力ある表現を推し進めた。
寺山修司 1935–83 昭和時代後期の歌人・劇作家。歌集に『血と麦』、戯曲に「血は立ったまま眠っている」など。
田中館愛橘 1856–1952 明治~昭和時代前期の物理学者。地震・航空物理学などの分野で活躍したほか、ローマ字・メートル法の普及にも貢献した。
甘粕正彦 1891–1945 大正~昭和時代前期の軍人。無政府主義者の大杉栄らを殺害した(甘粕事件)。
内藤湖南 1866–1934 明治~昭和前期の東洋史学者。根本史料の発見収集にも努めた。
最上義光 1546–1614 織豊~江戸時代前期の武将・大名。山形藩主最上家初代となった。
三浦謹之助 1864–1950 明治~昭和時代の内科学者。日本における神経学の草分けの一人。
深作欣二 1930–2003 昭和後期~平成時代の映画監督。「仁義なき戦い」シリーズ、「蒲田行進曲」などのヒット作を生む。
高久靄厓 1796–1843 江戸時代後期の南画家。代表作「西園雅集図屛風」など。
国定忠次 1810–50 江戸時代後期の侠客。関所破りなどの罪で磔の刑に処せられた。のちに芝居・講談などに取り上げられ、民衆の英雄像に脚色された。
金子兜太 1919–2018 昭和~平成時代の俳人。社会性俳句、前衛俳句運動の旗手をつとめた。
安井武雄 1884–1955 大正~昭和時代の建築家。大阪倶楽部、大阪ガスビル、満鉄東京支社などを設計した。
青島幸男 1932–2006 昭和後期~平成時代の放送作家・政治家。テレビ放送草創期に放送作家・俳優として活躍。のちに東京都知事もつとめた。
黛敏郎 1929–97 昭和後期~平成時代の作曲家。代表作「涅槃交響曲」など。テレビ番組「題名のない音楽会」の司会者もつとめた。
田中角栄 1918–93 昭和時代後期の政治家。1972年首相に就任し、日中国交正常化を実現した。
大谷米太郎 1881–1968 大正~昭和時代の実業家。ホテルニューオータニを開業した。
桜井錠二 1858–1939 明治~昭和時代前期の化学者。原子論に基づく物理化学理論を提唱。理化学研究所などの設立にも尽力した。
梅田雲浜 1815–59 幕末期の尊攘派志士。大老井伊直弼の排斥などを画策し、安政の大獄で捕らえられ獄死。
市古貞次 1911–2004 昭和~平成時代の国文学者。日本の中世・近世の文学を研究。『国書総目録』の編纂にも尽力した。
椋鳩十 1905–87 昭和時代の児童文学作家。自然や野生動物を主題とする作品を多く残した。代表作に『片耳の大鹿』『大造じいさんとガン』など。
山本芳翠 1850–1906 明治時代の洋画家。代表作に「西洋婦人像」など。明治美術会設立にも参加した。
古橋広之進 1928–2009 昭和後期~平成時代の水泳選手。1949年、全米選手権において自由形3種目に世界新記録で優勝。「フジヤマのトビウオ」と称された。
豊臣秀吉 1537–98 戦国時代の武将。織田信長の後を継ぎ、全国統一を果たした。
市川崑 1915–2008 昭和後期~平成時代の映画監督。『ビルマの竪琴』などの文芸作品を映画化。
中江藤樹 1608–48 江戸前期の儒学者。初め朱子学を修め、陽明学を首唱して近江聖人とよばれた。
堂本印象 1891–1975 大正~昭和時代の日本画家。寺院の障壁画などを数多く制作。戦後は抽象画も手がけた。
服部良一 1907–93 昭和時代の作曲家。「東京ブギウギ」「青い山脈」など、生涯で3000曲を超える作品を残した。没後に国民栄誉賞受賞。
石原裕次郎 1934–87 昭和時代後期の映画俳優。兄・石原慎太郎原作の「太陽の季節」でデビュー。「狂った果実」「嵐を呼ぶ男」などで一躍スターとなる。
柳生宗矩 1571–1646 江戸時代前期の剣術家・大名。徳川秀忠・家光に新陰流を伝授。
佐藤春夫 1892–1964 大正~昭和時代の詩人・小説家。小説『田園の憂鬱』『都会の憂鬱』『晶子曼荼羅』など。
門脇重綾 1826–72 幕末の武士・国学者。『伯耆志』編集に従事する。
若槻礼次郎 1866–1949 明治~昭和時代前期の政治家。昭和恐慌、満州事変発生時の首相。
岸田吟香 1833–1905 幕末~明治前期の新聞記者。日本最初の和英辞書『和英語林集成』を編纂。目薬精錡水の販売でも知られる。
新藤兼人 1912–2012 昭和~平成時代の映画監督・脚本家。近代映画協会を設立。監督作品「原爆の子」「午後の遺言状」など。
種田山頭火 1882–1940 大正~昭和時代前期の俳人。自由律の俳句誌『層雲』で活躍。句集『草木塔』など。
大塚武三郎 1891–1970 大正~昭和時代の実業家。独学で製薬技術を研究し、大塚製薬工場を設立。大塚製薬株式会社とし会長となる。
保井コノ 1880–1971 大正~昭和時代の植物学者。日本初の女性理学博士。植物細胞学・遺伝学の研究で知られる。
一遍 1239–89 鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。日本全土を廻国巡礼し、踊念仏を修して人々に念仏を勧めた。
板垣退助 1837–1919 幕末~明治時代の政治家。自由民権運動の代表者として自由党を結成。
米倉斉加年 1934–2014 昭和後期~平成時代の俳優・演出家。絵本作家としても知られ、『おとなになれなかった弟たちに…』は中学の国語教科書に採用された。
佐野常民 1822–1902 幕末~明治時代の武士・政治家。西南戦争中に博愛社(のちの日本赤十字社)を創設。
富永直樹 1913–2006 昭和~平成時代の彫刻家。ブロンズによる肖像、キリスト教を主題とした制作を行う。
矢島楫子 1833–1925 明治~大正時代の教育者・社会事業家。日本基督教婦人矯風会を組織して廃娼・禁酒運動を展開した。
中村裕 1927–84 昭和時代後期の医師・福祉活動家。身体障害者のスポーツ振興につとめ、「日本パラリンピックの父」と呼ばれる。
若山牧水 1885–1928 明治~昭和時代前期の歌人。『別離』により自然主義歌人として注目される。
大久保利通 1830–78 幕末~明治初期の政治家、明治維新の指導者。版籍奉還・廃藩置県に尽力した。
外間守善 1924–2012 昭和後期~平成時代の国語学者。言語理論を学び、沖縄の神歌おもろの研究を進めた。